こんばわ。
今見てるテレビ「月曜から夜ふかし」で、株主優待券だけで生きる桐谷さんをやってますが、なんだかもうかっこいいなあと思いましたマル。
土日はバイクを整備に出したり、図書館行ったり、散歩したり。
金銭的にライブ行けない感じ。来月広島~福岡遠征行くし。
今週末は絵描きの友人らとお花見パーティーと生タマゴショーです。
図書館では適当に書架をめぐり、ぺらぺらとページをめくり、面白そうならソファで流し読みます。
しかし、もっと面白そうならそこでは読まずに借りてきます。
「JRはなぜ変われたか」
「ゲームの父・横井軍平伝」の2冊を借りました
前者はほぼ読み終えました。大変面白かったです。
著者は
山之内秀一郎氏です。
東大卒業後、現場研修から始まり(中略)国鉄本社運転局長、常務理事を経て、開業当初のJR東日本副社長に就任した方で、後に会長。JAXAの初代理事長、JR東日本顧問を経て、2008年8月没。
国鉄がJR(東日本)になった時の山下会長は元三井造船社長、住田社長は元運輸事務次官なので、たたき上げの国鉄マントップ。そんな人が「官から民へ」の改革に次ぐ改革を成して行った、という自伝です。「自慢話」ばかりでなく失敗談も多いので好感が持てます。
皆さんは「国鉄」の記憶がありますか?
1970年代生まれ以前じゃないと難しいかもしれませんね。
私は73年生まれで、国鉄がJRになった1987年当時中学2年生でした。なので国鉄のイメージは若干残っています。
私鉄とは明確に違う「お国の運営」の雰囲気です。
こう言うと語弊があるかもしれませんが、民営化前の「郵便局」などを思い起こしていただければ。
国鉄がJRになった時、まず「乗客」「利用客」という呼び方を「お客様」に変えたそうです。
そんなレベルからスタートなのでした…。
70年代の国鉄時代の非効率業務がすさまじい。
新幹線運転士の一日の仕事が東京~新大阪の3時間一本で終わり。
山手線なら1周1時間を2~3周。
ローカル駅に、駅員50人配置。JR化後は7人に。
車両発注、建造物発注に談合バリバリ。実は市場価格の3割高かった。
補修作業者は予定をダミーで入れるだけで放置で何もしない。暇だからススキノに飲みに行く。
給料日には仕事をしないという慣習(!)がある区もあったり。
とかく労働組合が歪んだ強さを持ちすぎて経営側がうかつに何も変えられない状態が慢性化していました。何かやろうとすれば「ストライキ」です。電車が止まります。「乗客」の迷惑なんてどこ吹く風で。
最後に「天下り」問題で印象に残った一説を引用させていただきます。
※赤字は編者注
ある日新潟支社から、新しく駅で小売事業を行う会社を作りたいという提案があった。新潟には国鉄時代に一種のOBの再就職先のためともいえる同じような会社がすでにあった。
(中略)だが地元の支社の幹部はぜひ新会社を作りたいという。その理由を尋ねると「今ある会社はOBがのんびりと経営していて、とてもあれでは利益の上がる事業にはなりません」と言う。
そこでどちらのほうが良いか、おおいに議論となった。
たまたまその日の夜に(JR東日本の外部取締役をお願いしていたイトーヨーカ堂の)伊藤さんと夕食を共にすることになっていた。私はこの問題についての伊藤さんのご意見をうかがったところ、
「山之内さん、怒らない?」
「いえ、怒りません」
「では言おうか」
「どうぞ」
「いいご身分だね」
「え!」
「山之内さん、イトーヨーカ堂はOBの面倒など見ないよ。そんなことをしたらイトーヨーカ堂は潰れてしまうよ」
これには返す言葉がなかった。本当の民間企業の厳しさを思い知らされた思いがした。■
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