こんちは。
現在イラモ本の6ページの原稿をやってます。
見開き2ページ、追加しちゃおうかな~って考えてます。
これが終わったら別のも描く予定です。
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さて、今日は雑文を。
『酒鬼薔薇事件』の犯人である元少年A。
彼の執筆した「絶歌」が売れまくっています。
品切れ続出のベストセラーですね。
私も読んでみようかな、と思っているうちに売り切れ続出で、すでに中古品にプレミアが付いている状態です。
なんか本を買おうかなと思った場合、アマゾンのレビューコメントを参考にすることが多いのですが、今回は買ってない(と思われる)人のコメが多すぎてちょっと辟易しています。
楽天は買わないとレビューできないですが、アマゾンは買ってなくてもレビューできるんですよ。まあ話題になれば売れますからね。アマとしてもそれでいいというスタンスなんでしょう。「読んでないけどこんなの買うな!」というレビューの嵐にはちょっと苦笑いですが…。その行為がむしろ宣伝を推し進めているの、わかってるのかな?
そういや啓文堂書店は「被害者遺族の心情に配慮し」販売しないことにしたそうで。書店が売る本を選ぶのは普通のことですが、置けば必ず売れるような本をそういう理由でというのは異例のことです。
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フリーアナウンサーの長谷川氏のブログでのレビューがわかりやすく、さらに興味を引きました。
【「絶歌」読了】 元少年Aの手記を、私は評価したいhttp://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44422709.htmlいつもブログを読んでいるのですが、この方は物言いが直線で、極論から切り込むことが多いので面白いです。同意できる部分が多く、私の中で言葉にならなかった思いを「ああそういうことか」とわかりやすくしてくれます。「言い過ぎ」と思うこともしばしばですが。
しかしこのエントリーはコメント欄が荒れるだろうな、と思っていましたが、やはり大炎上していますね。それを承知で書いているのでしょうけど、言葉というものは難しい。日本語が読める=意思の疎通ができる、とはなかなかいかないものです。
長谷川氏は最初に「個人的な感想」と述べています。
あくまでも単なる「本を読んだ感想」です。
読んだ結果、彼は「被害者ご家族も、どうかいつの日かで構わないので、お読みいただきたいと思う。この本を読むことによって、むしろ救われる何かがあるような気がする」と結んでいます。
すげえ。
集中砲火さあこいカモーンですね。
でもまあ、内容を知らない私は、コメントできません。
「そんな勝手な押し付けをして!遺族が救われるわけ無いだろ!」とか、言えるわけがありません。読んでないから。まあ読んでたとしても「救われるかもしれないし、そうでないかもね」としか思いませんが。
・読んだ人「私はそう感じた」
・読んでない人「そうですか」
・読んだ人「私はそう感じた」
・読んだ人「いや私はこう感じた」
これが普通のコミュニケーションです。
コメント欄見てください。
どうにも噛み合っていないのが多い。
怒号と悲鳴と罵倒の嵐です。
「(遺族へ無断での出版は)そこは間違っていた、と断罪されるべき」と書いているのに、なんだか長谷川氏が残虐超人であるかのような扱い。いや批判するなら、太田出版に言いなさいよ。
この「絶歌」発行についてはさまざまな論議が絡み合います。
それらを一緒くたにして「長谷川氏の読書感想文」へのコメントとして投げかけるから、おかしなことになっているのです。
少年法については、今も議論されています。
この事件も一因となり、年々厳罰化されています。
というわけで被害者は救われいて、少年犯罪が減った、なんて単純な話でもないんですが。ただ元少年Aはとうに(当時の)法による裁きは終えており、一市民です。「ヤツは罪を償っていない!」と叫ぶのは自由です。ですが「もっと制裁を加えよう」とするのは法治国家としてNOです。
また、犯罪行為に基づく手記などによって、加害者や出版社が利益を得ることについて、強い忌避を示す人たちがいます。
実のところ収監者の獄中手記や、元受刑者が出所後に執筆して本を発行することは珍しいことでもなんでもありません。今回これだけ注目を集めたのは、事件当時犯人が子どもであったこと、マスコミでセンセーショナルに報道されていて人々の脳裏に強く残っていたことが理由でしょう。
言っちゃあ悪いですが、中年のしょぼくれたおっさんが被害者の、結婚詐欺+保険金殺人だったら、そんなにみんな「被害者が、遺族がかわいそう!」ってならないですからね。「ツイてねー」「だまされてアホか」ってむしろ叩くやつもいそうです。
アメリカのNY州には「サムの息子法」というものがあります。なんで「サムの息子?」と思う方はググって下さい。犯罪者が手記を書くなどしてその犯罪をネタにして収入を得る場合、遺族など被害者が申し立てをし、売上げ金を取り上げることができるものです。
この一件により日本においても「サムの息子法のような法律」を制定すべきだ、という声が強くなるかもしれません。ただ定義があいまいなので憲法による言論の自由、財産権の保障にひっかかる可能性が高いですね。
しかし遺族が民事裁判を起こして賠償金を請求したとしても、殺人などの重大事件を起こすような被告は支払い能力が無いことがほとんどです。被害者の救済の一面として、考慮に値すると思います。
この事件についてはすでに遺族が出版の取りやめ、回収を申し立てていますが、実現は難しいところだと思います。なお印税の使い道については公言していない模様ですし、遺族や何らかの基金に渡るとしても、それを受け取るかどうかは当事者同士の問題かと。
余談ですが、児ポ法のとき漫画の性表現規制を「言論の自由だ!」と言って反対していた方々(私もそう)ですが、まさか今回のこの本を「こんな本を出版するなんて鬼畜の所業!回収するべきだ!」とか叩いてませんよねえ?
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「○○の気持ちを考えたことがあるのか?」って言葉。
よく子どもへの説教に使われますよね。
人の身になって考える。うん、良いことです。
状況を客観的に見ることができれば、世の中わりと平和です。
「遺族の気持ちを考えたことがあるのか!」って言葉。
すごく苦手です。や、遺族の方が言うのは当然ですよ。
でもまったく関係の無い第3者も、般若の顔をして言うよね。
その感情、私にはわからないので。すみません。
長谷川氏のブログのコメント欄に溢れてますね。
本当にひどい目に遭ったことのある方もいらっしゃるかもしれませんが、確立からいって恐らくは、幸せな家庭を築いている方なんでしょう。
もし愛する息子や娘が、この事件のような殺され方をしたら…。
もしそんな残忍な加害者が、この世に、平然と生きていたら…。
手記なんか出しちゃって、大金を手に入れようとしていたら…。
自らの身には起きてはいない出来事であるにも関わらず、つらい、苦しい、悲しい、許せない、被害者遺族に感情移入し、社会に対する不安と悲鳴がないまぜあった言葉。キーボードに思わず叩きつけてしまったのだと思います。そう、つい、
「こんな本を評価するなんて!お前は遺族の気持ちもわからないのか!自分の子どもが同じ目にあっても、そう言えるのか!人でなし!」
というように……人でなし、ってコメントはあったかな?
なかったらごめんなさい。
私には嫁も子どももいません。
なので感情的な部分では想像するにとどまります。
なのでちょっと冷静なので、○○にいろいろ当てはめます。
「もうひとりの遺族の気持ち」
「他の犯罪被害者の気持ち」
「編集者の気持ち」
「医療少年院で関わった人の気持ち」
「退院後にサポートした人の気持ち」
「退院後に彼を忌避した人の気持ち」
「元少年家族の気持ち」
「元少年の気持ち」etc…
想像力を働かせて多面的に考えると、感情のまま文字をタイプすることを防げるかもしれません。当然、そんな必要は無いと思うのも自由ですが、最低でも、ブログ主の人格批判や名誉毀損などの悪罵はやめましょうよ。
無実の人を出所した殺人犯に仕立て上げ、ネットで「正しいと思って」執拗に攻撃し続けた『正義の悪鬼』と同じになってしまいます。あ、この言葉、今作りました。なんか語感がいいので。
あとブーメランありますからね。
自分やもしくは家族が、重大事件の加害者になるパターン。
そうなっちゃったら『正義の悪鬼』が、どんな謝罪や言い訳をしても貴方を狩って地の果てまで追い詰め、許さないことでしょう。
こわいこわい。
長くなりましたのでこのへんで。
ではでは。
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これ書いているうちに長谷川氏の新エントリー来てました。
『絶歌』を批判する人たちに決定的に欠けている視点http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44447913.html