パンツが見える
こんにちわんわん。
アンジュ武道館に行ってきました。
4人時代を思い出し、今を見る。
「物語はつづく」と歌われてからもう4年近くなるんですね。
何事も続けてみるものだなあ。
このブログも8年か…。しみじみしじみ。
新曲が「臥薪嘗胆」ですって。
「大器晩成」やら「念には念」やら、四文字熟語や慣用句シリーズが流行っているのでしょうか。
【 臥薪嘗胆とは 】
《「史記」越王勾践世家にある故事から》復讐(ふくしゅう)を心に誓って辛苦すること。また、目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。
◆中国の春秋時代、呉王夫差(ふさ)が父のかたきの越王(えつおう)勾践(こうせん)を討とうとして、いつも薪(たきぎ)の上に寝て身を苦しめ、またその後夫差に敗れた勾践が、いつか会稽(かいけい)の恥をそそごうと苦い胆(きも)を嘗(な)めて報復の志を忘れまいとしたという。
(Yahoo!辞書より引用)
スマそしてアンジュには確かに合ってる言葉です。
まあ目的に向かって努力しているのはアンジュだけじゃないですが。
次の娘。の新曲タイトルは「捲土重来」なんかどうですか。
◇
雑談。
パンツの話です。ここではズボンではなく下着のほうの話。
最近この本を読みました。
『パンツが見える。羞恥心の現代史』<井上章一/朝日選書>
こんな話を聞いたことがありますか?
「女性がパンツを履くようになったのは1932年の白木屋デパート火事がきっかけだと言われている」
昭和のはじめまで、日本ではまだ和服が主流でした。
下着といえば男性はふんどしですが、女性は腰巻。
つまりまたぐらには何も無いノーパン状態。
そのため「デパート火事の際、ロープにつかまってビルから脱出しようとした女性たちが、着衣の乱れで陰部が露出してしまうのに気を取られて手を離してしまい、墜落死が続出した」という説です。大和なでしこのおくゆかしさとか、慎ましさが見うけられますね。
が、この本はその説に疑問を投げかけ、当時の川柳や小説などから風俗を紐解き、真っ向から反論しています。
なんてヒマなことを…と思いつつ読んでみるとなるほどーと納得。
そもそも誰も下着をつけていないのですから、不意にめくれてしまった場合、直接下半身が見えるのは当然です。現代なら「マジで!?」という状態ですが、当時の男性たちは「ラッキー!」程度なはずです。
女性側も、現代なら羞恥に悶えるところでしょうが、その頃は「まあしょうがないか」と済ませられる出来事だったのかもしれません。だとすれば火事なんていう生死のかかった危急のときに、陰部が見えてしまうなんて「些細なこと」を気にするとは思えません。
今で言う「パンティ」に相当する下着がそもそも無く、あっても「ズロース」。それも布を裁断して自分で作るもので、履き心地がいいものではありませんでした。運動時にやむなく着用するもので、蒸れずに開放的なノーパンのほうがいいやと考えるのも不思議ではないです。
戦後になって洋装の普及とともにパンツが売り出されていきます。キャッチコピーは「レイプを防ぐためにもパンツを履こう」という、いや一枚くらいで防御力はどうなんだと思いますが、服にお金をかけられるホステスや娼婦を中心に広まっていきます。
この時点では男性視点だとまだ「パンチラ」や「ズロチラ」はありがたいものではありません。むしろ「貞操」の象徴でもありました。
おいキミ、今夜はどうだい?とふとももに手を這わせると、これまでは直接蜜つぼにたどり着くはずの指先は、一枚の布に阻まれる。パンツを履いていること=私は股のゆるい女じゃないのよ、という隠れた主張でもあったようです。
日本経済に余裕ができ、メーカーからもさまざまなデザインの履き心地のいいパンティが売り出されるようになると、一般の女性も購入を始めます。彼女らはもともと女学校などで運動のためのズロースを履きなれていた少女たちですから、和装から洋装への抵抗も少なかったのでしょう。
さて「パンツは夜の女が履くもの」という認識をしていた一般女性たちは、自分たちが淫らだと思われたくなくてそれを履いていることを隠すようになりました。電車で座ってもしっかり足を閉じ、無防備にしゃがむこともなくなります。
そうすると何が起きるのか。
そう、パンチラ株の上場です。
需要と供給の法則にしたがって、隠されてしまったパンツを求める心が発生しました。新たな文化の始まりですね。ブルマも廃止されてからある意味価値が高まりました。
高度成長時代にミニスカートブームの時代が来て、見えそうで見えないチラリズムにより女性は男性を誘いましたが、平成の時代には「見せパン」なるものも登場し、さらにはJCJKの基本スパッツ着用など、見せるんだか見せないんだかいささか混沌としておりますね。
まあ露出度レベルのみでいえば、夏はビキニの水着で普通に海水浴を楽しむようになっておりすでに終わってるのですが。ああ、あれは「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」なのか。
ではでは。
アンジュ武道館に行ってきました。
4人時代を思い出し、今を見る。
「物語はつづく」と歌われてからもう4年近くなるんですね。
何事も続けてみるものだなあ。
このブログも8年か…。しみじみしじみ。
新曲が「臥薪嘗胆」ですって。
「大器晩成」やら「念には念」やら、四文字熟語や慣用句シリーズが流行っているのでしょうか。
【 臥薪嘗胆とは 】
《「史記」越王勾践世家にある故事から》復讐(ふくしゅう)を心に誓って辛苦すること。また、目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。
◆中国の春秋時代、呉王夫差(ふさ)が父のかたきの越王(えつおう)勾践(こうせん)を討とうとして、いつも薪(たきぎ)の上に寝て身を苦しめ、またその後夫差に敗れた勾践が、いつか会稽(かいけい)の恥をそそごうと苦い胆(きも)を嘗(な)めて報復の志を忘れまいとしたという。
(Yahoo!辞書より引用)
スマそしてアンジュには確かに合ってる言葉です。
まあ目的に向かって努力しているのはアンジュだけじゃないですが。
次の娘。の新曲タイトルは「捲土重来」なんかどうですか。
◇
雑談。
パンツの話です。ここではズボンではなく下着のほうの話。
最近この本を読みました。
『パンツが見える。羞恥心の現代史』<井上章一/朝日選書>
こんな話を聞いたことがありますか?
「女性がパンツを履くようになったのは1932年の白木屋デパート火事がきっかけだと言われている」
昭和のはじめまで、日本ではまだ和服が主流でした。
下着といえば男性はふんどしですが、女性は腰巻。
つまりまたぐらには何も無いノーパン状態。
そのため「デパート火事の際、ロープにつかまってビルから脱出しようとした女性たちが、着衣の乱れで陰部が露出してしまうのに気を取られて手を離してしまい、墜落死が続出した」という説です。大和なでしこのおくゆかしさとか、慎ましさが見うけられますね。
が、この本はその説に疑問を投げかけ、当時の川柳や小説などから風俗を紐解き、真っ向から反論しています。
なんてヒマなことを…と思いつつ読んでみるとなるほどーと納得。
そもそも誰も下着をつけていないのですから、不意にめくれてしまった場合、直接下半身が見えるのは当然です。現代なら「マジで!?」という状態ですが、当時の男性たちは「ラッキー!」程度なはずです。
女性側も、現代なら羞恥に悶えるところでしょうが、その頃は「まあしょうがないか」と済ませられる出来事だったのかもしれません。だとすれば火事なんていう生死のかかった危急のときに、陰部が見えてしまうなんて「些細なこと」を気にするとは思えません。
今で言う「パンティ」に相当する下着がそもそも無く、あっても「ズロース」。それも布を裁断して自分で作るもので、履き心地がいいものではありませんでした。運動時にやむなく着用するもので、蒸れずに開放的なノーパンのほうがいいやと考えるのも不思議ではないです。
戦後になって洋装の普及とともにパンツが売り出されていきます。キャッチコピーは「レイプを防ぐためにもパンツを履こう」という、いや一枚くらいで防御力はどうなんだと思いますが、服にお金をかけられるホステスや娼婦を中心に広まっていきます。
この時点では男性視点だとまだ「パンチラ」や「ズロチラ」はありがたいものではありません。むしろ「貞操」の象徴でもありました。
おいキミ、今夜はどうだい?とふとももに手を這わせると、これまでは直接蜜つぼにたどり着くはずの指先は、一枚の布に阻まれる。パンツを履いていること=私は股のゆるい女じゃないのよ、という隠れた主張でもあったようです。
日本経済に余裕ができ、メーカーからもさまざまなデザインの履き心地のいいパンティが売り出されるようになると、一般の女性も購入を始めます。彼女らはもともと女学校などで運動のためのズロースを履きなれていた少女たちですから、和装から洋装への抵抗も少なかったのでしょう。
さて「パンツは夜の女が履くもの」という認識をしていた一般女性たちは、自分たちが淫らだと思われたくなくてそれを履いていることを隠すようになりました。電車で座ってもしっかり足を閉じ、無防備にしゃがむこともなくなります。
そうすると何が起きるのか。
そう、パンチラ株の上場です。
需要と供給の法則にしたがって、隠されてしまったパンツを求める心が発生しました。新たな文化の始まりですね。ブルマも廃止されてからある意味価値が高まりました。
高度成長時代にミニスカートブームの時代が来て、見えそうで見えないチラリズムにより女性は男性を誘いましたが、平成の時代には「見せパン」なるものも登場し、さらにはJCJKの基本スパッツ着用など、見せるんだか見せないんだかいささか混沌としておりますね。
まあ露出度レベルのみでいえば、夏はビキニの水着で普通に海水浴を楽しむようになっておりすでに終わってるのですが。ああ、あれは「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」なのか。
ではでは。
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